阪神・村上頌樹、98球で完封勝利「マダックス」達成

この記事の要約
2025年5月、阪神タイガースの若き右腕・村上頌樹投手がプロ野球で“マダックス”を達成し、野球ファンの間で大きな話題となりました。「マダックス」とは、100球未満で完封勝利を収める希少な快挙。この記事ではその意味、村上のピッチング内容、過去の達成者との比較、さらに“省エネ投球”が生む戦術的・心理的インパクトについて詳しく掘り下げます。
「マダックス」とは何か?──その定義と由来
まず、“マダックス”という言葉を初めて聞いた方のために、その意味を解説しましょう。
マダックス(Maddux)とは、「完封勝利を挙げたうえで、投球数が100球未満」という極めて珍しい条件を満たした投手記録です。由来は、メジャーリーグのレジェンドであり制球の鬼と称されたグレッグ・マダックス。彼は1990年代にこの記録を頻繁に達成したことで、その名が記録の通称になりました。
「ただ抑える」ではなく「無駄なく抑える」。 “少ない球数で長いイニングを支配する”という、投手の究極的理想とも言える芸術的投球術の象徴です。
阪神・村上頌樹、98球の快投でマダックス達成
その記録を、2025年5月、阪神タイガースのエース候補・村上頌樹が達成しました。対戦相手は中日ドラゴンズ。結果は9回を被安打4、無四球、6奪三振で完封。投球数はわずか98球。
本人のコメントは実に淡々としていました。「特にマダックスは意識してなかった。終盤は球数を気にせず、打者と向き合っただけです」
だがこの快挙は、今季のプロ野球における“投手中心の流れ”を象徴する記録として、即座に話題となりました。
特に目を引いたのは、村上の「配球の引き算」でした。
- ● 初球ストライク率:83%
- ● 1イニング平均球数:10.9球
- ● カウント2-0からの打者凡退率:3割超
この投球は、“制球とリズム”を重視する日本投手の美学が凝縮されたような内容で、打者にとっては「反撃の糸口すら掴ませてもらえない」展開だったといえるでしょう。
マダックス達成者はなぜ尊敬されるのか?
“ノーヒットノーラン”や“完全試合”に比べれば地味かもしれませんが、マダックスは「投手の本質的な価値」を最もよく表す記録とされています。なぜなら──
- ● 無四球である(与四球が増えると球数が増える)
- ● 打たせて取る技術が高い(必要以上に三振を狙わない)
- ● 配球とリズム管理が巧み(守備の集中力も維持される)
つまり、マダックスを達成する投手とは「剛速球でも変化球でもない、思考と技術で勝負する投手」なのです。
村上頌樹の今回のピッチングもまさにその体現でした。 キレるツーシームとストライク先行の強気な配球、そして相手打線を“泳がせて打たせて取る”投球術。
メジャーを目指す投手にも通じる資質を、村上はすでに兼ね備えている──そう感じさせる9イニングだったといえるでしょう。
村上頌樹の真骨頂──“投げない勇気”が光るピッチング
村上頌樹のピッチングの最大の魅力は、“打者を見切る力”にあると、私は考えています。
直球は140km中盤。特別速いわけではありません。変化球も、メジャー級のスライダーやツーシームがあるわけではない。にもかかわらず、なぜ彼は打者を抑え込めるのか──それは、「打者が打ちたい球を投げない」ことに徹しているからです。
例えばこの日の中日打線。序盤から積極的にファーストストライクを狙う姿勢を見せていましたが、村上はそれに対し、すべて“外角低め”で誘い、逆方向への弱い打球を量産。中盤には一転、カウント2-1や3-1の場面でストライクゾーンに投げ込み、凡打を引き出します。
つまり、球速や変化ではなく、「タイミングを外す」「狙いを外す」「リズムを壊す」ことで、打者に“振らされている”印象すら与えずに凡打を誘発しているのです。
“投げないことで勝負する”という、逆説的な省エネの美学。 それこそが、村上頌樹という投手の真骨頂です。
守備力と投手リズム──“チームで作るマダックス”
マダックスを語るうえで忘れてはならないのが、“守備”の存在です。村上の98球完封には、阪神の内外野陣の堅実な守りも大きく貢献しました。
特に印象的だったのは6回、先頭打者の強烈なショートゴロを木浪が難なくさばいた場面。打球速度は120km/h超、バウンドも難しいタイミングでしたが、無駄のない動きでアウトに。直後の村上が2球で後続を打ち取り、結果的に3球でイニングが終了。
また、8回に記録された中堅・近本のスライディングキャッチも、流れを一気に引き寄せました。
こうした“守備の連動性”は、ピッチャーのテンポによって生まれるものでもあります。 リズムの良い投手は、守備に無駄な待機時間を与えない。 結果的に集中力を保ちやすく、エラーも減り、味方の攻撃も乗ってくる。
村上のマダックスは、個人記録であると同時に、“守備と投球の一体化”がもたらしたチーム記録でもあるのです。
過去のマダックス達成者との比較──阪神史上では?NPB全体では?
プロ野球(NPB)におけるマダックス達成は、実はそう多くありません。2020年代に入ってからも年間に1〜3例程度で、特に現代野球では「三振至上主義」「投手の球数制限」が強まる中、マダックスの難易度はむしろ上がっています。
これまでの主な達成者には以下のような顔ぶれがあります。
- ● 田中将大(楽天):2013年9月、92球で完封
- ● ダルビッシュ有(日ハム):2007年6月、96球で完封
- ● 菅野智之(巨人):2017年8月、99球で完封
- ● 隅田知一郎(西武):2023年4月、99球で完封
そして今回、阪神の村上頌樹がそこに加わったのです。 阪神タイガースでは、おそらく2000年以降初の達成。江夏豊以来、ほぼ四半世紀ぶりの“省エネ系エースの誕生”といっても過言ではありません。
球界を見渡しても、“マダックスを達成する若手”は極めて貴重。 球速より頭脳、三振より凡打、投球数より効率を追い求める、これぞ「現代における完成された投手像」ではないでしょうか。
村上の記録が球界に与える“静かな波紋”
「マダックス」は決してド派手な記録ではありません。 完全試合やノーヒットノーランのような“ドラマチックな瞬間”はなく、記録が確定するのは試合が終わってから──しかも球数を数えて初めて成立する、いわば“裏MVP”的な達成です。
しかし、この“静かな偉業”がもたらす影響はむしろ深く、野球のあり方そのものを考え直す契機となり得ます。
なぜなら、マダックスが象徴するのは「技術と知性と効率の結晶」であり、“力の勝負”ではないからです。現代野球は球速や奪三振率といった派手な指標が注目されがちですが、村上の記録は「打者を圧倒するのでなく、納得させる」投球スタイルが評価される余地を残していることを示しました。
球界全体が“力勝負”から“戦術と制御”のバランス型へと移行していく中で、村上のような投手の存在は、未来の育成方針にも少なからず影響を与えることでしょう。
“球数制限の時代”だからこそ価値がある
かつての高校野球やプロ野球では、投手が1試合140球を投げることも珍しくありませんでした。 しかし近年は「肩肘の酷使防止」「選手生命の長期化」などの観点から、球数制限の考え方が主流となってきています。
NPBでも中6日でのローテーション、110球前後での交代が定着しつつあり、球数をコントロールする力が投手に求められるようになりました。
そうした背景の中での“98球完封”──これは一つの理想形です。球数制限と完投主義の両立が不可能と思われる現代野球において、「質の高い完封」を成し遂げたことは、指導者やアナリストたちに強烈なメッセージを与えることになります。
つまり、村上の記録は「今だからこそ価値が高い」のであり、むしろ今後ますます“球数効率”を重視する潮流に拍車をかける可能性があるのです。
投手育成の再考──“制球・緩急・配球”が評価される未来へ
村上頌樹のような投手が脚光を浴びることで、投手育成の考え方にも変化が訪れるかもしれません。
これまでの育成現場では「球速アップ」「フィジカル強化」が中心でした。事実、アマチュア野球でも150km/h超の速球が投げられなければ評価されにくいという“数値偏重”の傾向は根強く残っています。
しかし、村上のように「140km/h台のストレート」「変化球の精度」「緩急のつけ方」「打者心理を読む術」で結果を出す投手がプロで成功する例が増えれば、スカウトや指導者の目も変わっていく可能性があります。
球速だけでなく「試合を作れるか」「試合を動かせるか」「試合を終わらせられるか」という視点──そうした“総合的な投手像”が、これからの日本野球で重視される流れが強まっていくかもしれません。
まとめ──静かなる快挙が描いた、未来の投球スタイル
村上頌樹のマダックス──それは、剛速球や派手な奪三振ではなく、“考える投球”で築かれた静かな快挙でした。
その投球は、どこか落語や能のような「間」と「省略」の美学に通じるものがあります。 無理をしない、余分を排す、必要最小限で最大の効果を生む──そんな投球に、現代人がどこか“心地よさ”を感じたのも、偶然ではないでしょう。
力だけではなく、技術でもなく、思考と構成で勝負する。 マダックスとは、「投手の頭脳による完封」なのです。
阪神ファンだけでなく、すべての野球ファンにとって、今回の快挙は“効率と美学が共存する投球スタイル”の可能性を改めて教えてくれる出来事となりました。
そして何より、村上頌樹という投手が、令和のプロ野球における新たな投球の“指標”となるかもしれない。 そんな期待を抱かせる、静かにして確かな歴史的一投だったといえるでしょう。